「未来の世代に伝えたいこと」を読んで
みなさん、こんにちは!
長野県塩尻市の鴨居歯科医院
鴨居インプラント審美サロン
歯科技工士の三溝 恒幸です。
鴨居歯科医院では、毎月最終金曜日に社内木鶏会を開催しています。この社内木鶏会は月刊誌『致知』をテキストに、社内で人間学を学ぶ月例の勉強会です。「致知」を読み、お互いの感想文を発表しあい、発表者の良いところを見て社風を良くしようとするものです。
今回も私の感想文を掲載させていただきます。私の感想文は、「未来の世代に伝えたいこと」を読んだものです。御笑読いただければ幸いです。
「未来の世代に伝えたいこと」
今回の対談は田坂広志と鈴木秀子氏の対談である。お二方の著書を見ると、鈴木氏の著書には、『死にゆく人にあなたができること』や『機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく。』があり、田坂氏の著書には『すべては導かれている』や。『運気を引き寄せるリーダー七つの心得』などがある。どれも興味をひくものだ。このお二方の対談において言いたかったことは「人生で与えられる様々な逆境や、人類に与えられる危機もすべて、我々人間を成長させたいとの思いから、サムシング・グレートが与えたものである。そのサムシング・グレートは、我々を成長させることによって、素晴らしい何かを成し遂げさせようとしている。」ということである。
田坂氏の著書の文中に「幸運は、不運の姿をしてやってくる」という一説がある。私が大学の定年退職を1年後に控えた頃、当時の補綴学講座の教授のすすめもあり、補綴学講師への移動願を提出したことがあった。しかし、定年退職の数か月前になって、突然不受理の知らせが届いた。その時私は、己の不運を嘆いた。だが、現在こうして院長先生に再雇用していただいたことにより、自身の理想や志が鍛えられるとともに、マネジメント、経営やマーケティングについて学ぶことができたのである。あのまま大学に残っているよりも、はるかに充実した歩みをさせていただけていると思えている。私が「不運」と思えていた出来事が、先回りして導かれていたことに気付き、今思えば「あれは幸運な出来事であったのだ」と思える人生の展開になっていたのだ。とはいえ、私自身は、なかなか成長できている感がなく、ここにいるスタッフの皆さんの成長が羨ましいと感じるほどだ。対談の中に「経営やマネジメントとは、まさに自己嫌悪の連続であり、社員に何かを言えば『ああ言い過ぎてしまった』と思い、言わなかったら『なぜ言わなかったのか』と自分を責める。だから「常に自己嫌悪を感じ続けるのが経営やマネジメントというもの」とおっしゃっている。1対多という使従関係の中で「自分はなかなか成長しない」思うことに関して、田坂塾では「百歩前進、九九歩後退。されど一歩前進」と説いているそうだ。実に3歩進んで2歩下がるなんてものではない。
このような己の成長の遅さを嘆いて「自分は駄目なやつだ」と思う発想は、鈴木氏によれば「傲慢である」と仰っている。つまり、私たちが、様々な矛盾を抱えて生きているとしても、今この瞬間もこうして命を与えられている。そのことだけでも神から見れば絶対的な愛と信頼の証なのだと。そうであれば「私なんか駄目だ」という発想こそが倣慢であると言えるというのだ。人間でも、子を想う心は絶対的な肯定感情である。それは、神が人間を想う視点が絶対肯定であるからこそである。こうした恩恵に恵まれながら生かされていることに、日々感謝を申し上げ、起こってくることのすべに意味があと悟り、それは私たちの成長のためにあることを感じつつ人生を歩んでいきたい。逆境という山を一つ乗り越えるたびに、また新たな山が見えて来るし景色も素晴らしくなる。私たちには、そうした山を乗り越えられるだけの装備もきちんと用意されているのだ。
そして今後、地区においても、新たなステージにおいても、そうしたすばらしい人生であることを自らも味わい噛みしめ、人にもお伝えして生きていきたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。