致知感想文
皆さまこんにちは!鴨居歯科医院 歯科衛生士の髙木さなえです。12月号の致知の感想文を投稿致します。
62頁 「実語教」「童子教」に学ぶ 長い歴史の中で、子ども達のテキストとして読み続けられてきた「実語教」と「童子教」。 日本人の精神文化に多くの影響を与えた書物でありながら、いまその存在は知られていない。私もこの特集で初めて知った一人です。 「実語教」は平安時代末、「童子教」は鎌倉時代と、それぞれ成立時期は異なるが、学びの大切さや礼儀作法、人との付き合い方など、人間が生きる上での大切な知恵が簡潔に書かれていて、明治大学教授の齋藤孝先生は、「実語教」については「日本人千年の教科書」と言ってもいいと力説しています。 江戸時代、子ども達に寺子屋で行われていた学習方法として、素読(先生が言った言葉を復唱して解説を聞き、更に復唱する)や、暗誦(何も見ずに口に出して言う事)で両書を使って学んだ。両書は、言葉のリズムが良く覚えやすい。また、声に出し、耳で聞いて覚えるという五感をフルに使って学習することで、子ども達に勇気や向上心、自己肯定感が生まれ、いじめる側にもいじめられる側にもならない。学び続けること、学ばないと人間は磨かれないと両書は教えてくれていますが、現代に生きる人々(特に若者)は、心がとても折れやすくなっている。その理由として、精神文化をきちんと継承していない、学んでいないからだと齋藤先生は仰っています。人間の心と身体、精神の三つに分けて考えると、心は不安定で移り変わりやすいが、精神は心と違って変化することはない。両書の千年も前から変わらない精神文化が日本人の心に土台としてあれば、不安定で簡単に折れてしまうような心にならず、ポジティブな考えを持つことができ、健康でいられる。そのためにも「今一度、幼児期にうちに精神文化を植えつける教育はとても大事。」「人生百年時代の今、還暦を迎えた人たちにも両書を読み直してほしい、子どもに戻って赤いちゃんちゃんこを着るのだから、精神を奮い立たせる一つのきっかけになる。」と數土先生も仰っていて、両書を使って学び直すことは素晴らしい!私も必ず読んでみたい!と思いました。 「実語教」の最後の文章に、「かるが故に末代の学者、先ずこの書を案ずべし。これ学問の始め、身終わるまで忘失することなかれ」(以上のようにどんな時代になっても学ぼうと思う人は、まずこの「実語教」を読んでください。これが学びの第一歩です。一生を終えるまで学ぶことを忘れてはいけません。)とあり、江戸時代の子ども達は寺子屋で、このような素晴らしい言葉に触れていてうらやましく感じます。 また、「童子教」には、「それ積善の家には必ず余慶あり。又、好悪の処には必ず余殃あり。人にして陰徳あれば必ず陽報あり。人にして陰行あれば必ず照名あり」(日頃から善行を積み重ねている人の家には、必ず思いがけないよいことがあります。自分の好みで人を憎んでしまう人のところには、必ず思いがけない悪いことが起こります。隠れたところでよい行いをしていれば、必ずよい知らせがもたらされますし、隠れたところで立派な行いをしていれば、その名は必ず皆の知るところとなります。)陰で努力をしているとプラスのことが起きる・・。今月号のテーマ「敬、怠に勝てば吉なり」に通じる素晴らしい言葉です。 「実語教」と「童子教」は、解説など要らないほど当たり前のことが書いてある書物ですが、当たり前のことほど重要なことはありません!両書が全ての年代の日本人に再び広まるといいなぁと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。