致知感想文
皆さまこんにちは!鴨居歯科医院、歯科衛生士の髙木さなえです。5月号の感想文を投稿致します。
58頁 二宮尊徳の歩いた道 先月4月号より作家の北康利氏による新連載、「二宮尊徳 世界に誇るべき偉人の生涯」が始まりました。 連載の冒頭に、武者小路実篤の残した言葉、「二宮尊徳はどんな人か。かう聞かれて、尊徳のことをまるで知らない人が日本人にあったら、日本の恥だと思ふ。それ以上、世界の人が二宮尊徳の名をまだ十分に知らないのは、我らの恥だと思ふ。」とあります。私は、致知を院長先生から頂き、人間学を学ばせてもらい、6年以上経ちますが、二宮尊徳のことをほとんど知らないことに焦りを感じてしまいました。今月号58頁の特集と、これからの北康利氏の連載をしっかり読み込み遅れを取り戻したいと思っています! 二宮尊徳の本名は、金治郎(公文書など史料には、金次郎と書かれていて、今は金次郎とされている)。全国のいくつかの小学校に、歩きながら本を読み、薪を背負った金次郎の銅像が、”歩きスマホ”を誘発しているとの理由で近年撤去されている。銅像の金次郎の真実は、「大学」などの「四書五経」を歩きながら暗唱し、つかえた時に取り出し見ていた姿で、歩きながら読んでいたのではない。背負っているのも、薪ではなく、軽い柴とされている。銅像の大きさはちょうど1メートルで、子どもたちに1メートルを体感させるために普及した生きた教材でもあったなど、たくさんの誤解や知らないことが多いと感じ、増々学びたくなりました。金次郎の生きた時代は、自身の住む地域の川の洪水、浅間山の大噴火など、自然災害が頻発し、それにより田畑は荒れ、農業の衰退や大飢饉による人口の減少など、いろいろな問題が起きていた。14才で父を、16才で母を失い、兄弟とも離ればなれになるが、学問(読書)を続け、卓越した知恵を身につけ、惜しむことなくそれを社会のために還元した。農業問題でも、財政問題でも、彼にかかれば解決出来ない問題などなく、多くの弟子を育て、ひたすらに「安国安民」を願った。悲劇のヒーローのような二宮尊徳は、70才で亡くなりますが、明治維新後に彼の評価は一転し、神となりました。「企業家育成、地方活性化、財政再建、人口対策など今日、日本が抱えている諸問題の解決はすべて、二宮尊徳という人物の中に眠っている。」北氏の連載で、更に二宮尊徳を知り、学んでいきたいと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました!