鈴木 大拙が残した言葉
みなさん、こんにちは!
長野県塩尻市の鴨居歯科医院
鴨居インプラント審美サロン
歯科医師の宮腰ゆう子です。
梅雨があけ、暑い日が続いていますが皆様お元気でしょうか。
先日の木鶏会にて読みました8月号致知における「鈴木大拙がのこした言葉」の感想文を掲載いたします。
これまでの人生においてたくさん供養をしてきた。祖父や母を弔い、大学時代に解剖させていただいた方の供養に参加し、また日々の診療において使用している薬剤や治療法なども実験された動物の犠牲になりたっているものも多い。
時期になると針供養が行われるニュースも流れる。道具となる前に連綿と連なる繋がりをもった命であり、道具も人も動物も含めた全ての衆生というその恩:衆生恩の上に生も仕事も成り立っていることを改めて感じる。
自分は自分だけで成立しているのではなく生かされているのであって、その自覚をもって感謝をすること。
また本文中の大拙の言葉の「祈らずにおられんから祈る」という言葉にも考えさせられる。もう長くないと悟ってしまったとき、自分は祈っただろうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。